奄美にて


奄美大島の北部、東シナ海に面した笠利湾は、水域を山並みに囲まれたリアス式海岸である。
外洋に比べれば比較的静かな入り江だが、その昔薩摩隼人がここから船に乗って攻め込んで来た荒々しい歴史も有する。
この美しい海を、ガイドのゴンちゃんと旅した記録。

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コウトリ浜にて(撮影:ガルフブルーカヤックス

当初は加計呂麻島を1周する計画を練っていたのだが、相次ぐ台風の来襲により敢え無く断念。
本年度最大の台風が相次いで通過して行ったのだから、中止は止むを得ない判断であったと云えるだろう。
最終的に中止の判断を下したのは地元でガイドをしているH氏だが、事前に情報を収集し、荷物を送る前に適切なアドバイスを送ってくれた彼に、私は全幅の信頼を寄せている。

H氏との関係は、日頃から懇意にして貰っているシーカヤックショップ、レイドバックK氏の紹介に起因する。
今では私もK氏と同様に親しみを込めて、「ゴンちゃん」と勝手に呼ばせてもらっているが、こと海を旅することにかけては相当の凄腕のようである。
また、「ゴンちゃんはねぇ、ホントに良い奴なんですよ…」とK氏が目を細めて話すあたりからして、愛すべき個性の持ち主のようでもある。

本人による単独行手記によれば西暦2000年、自身の集大成として沖縄から奄美大島まで、紺碧の島渡りを実行している。
無論単独である以上、搬送船等のサポートは一切無い。
生きるのも死ぬのも全く自由だが、生きるためには何があっても漕ぎ続けなければならない。
それは文字通り、たった独りで自分の命をタネ銭に、原始のままの黎明を行く行為に他ならないのである。

 


 

2014年10月28日、成田発奄美行の飛行機は予定通りのフライトとなったが、機内に乗り込む前にヒト悶着があった。
搭乗前の金属探知ゲートでは、何度通過してもブザー音が鳴り響く有様で、当然そのままでは搭乗不可能であることから、最終的にはハンディ探知機によってボディチェック開始。
担当してくれたのは20代(多分)の女性職員なのだが、仕事とはいえ執拗に私の身体中をヘンテコな黒い棒で弄るのである。
特に腰から股間にかけての精査は入念で、思わず怪しい呻き声をあげてしまうトコロであったが、そこはクール且つ控えめに笑顔で対応。
「問題ないかな?」と大人の余裕で切り返したつもりだったが、今度は手荷物検査で引き留められた…!

結局、ライターと燃料用アルコールを容器ごと没収され、訳の判らない説明を受けたが、飛行機は何とか無事に奄美空港へ到着。

ロビーにてガイドのゴンちゃんを待つ。

 


 

青いTシャツを着た男が現れてこちらに歩いてきた。
私は直ぐに彼だと判ったので立ち上がり、挨拶をしようと待ち構えていたが素通りされそうになる。
「こんにちは。Hさんですよね。」と慌てて声をかけると、彼はギョッとしてこちらを凝視したまま凝固していた。
まぁ無理もない、なにしろ私はスーツ姿だったのだ…

ガルフブルーカヤックスの本拠地である節田(せった)にて、着替えとフネの組み立てをおこなうこととする。
気温は26℃、自宅を出た時には9℃しかなかったので、まだ身体は順応していない。
近所の商店で購入したお弁当をビール片手に食べ始めたが、何とも釈然としない気分に囚われる。
どういう訳か、2本目のビールは何故かやけに生温かい。

仕方なく独りでカサラノを機械的に組み立て始めると、じわじわと汗が滲んでくる。
いつもは決まらないキールの位置も、今日は船体布のデザイン通りにピタッと決まってしまう。
最終難関の3・4番リブも呆気なく所定の位置に納まり、シート周りをセットして無事完成。
相変わらず美しいフネである。
充実した感情が、皮膚を伝って汗となって流れ落ちる。

飛行機の猛烈なスピードによって、身体だけ先に到着してしまったのだろうか…?
であるならば、今やっと心が追いついて来て、自分が奄美に居ることを認識し始めたようである。
さぁ、これから旅が始まるのだ!

 


 

出発地点は赤尾木の美しい浜辺から。
時間的な余裕も無いので、暗くなる前に一屯(トン)崎を目指す。
目の前にはガルフブルーの海が広がっている。
正真正銘の碧い蒼い海である。


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